
「さもしい」という言葉をひさしぶりに目にした。
それに比べれば、「イヤシイ」はよく耳にする。でも使われ方が、ちょっと違うような気がしないでもない。
この本には、「イヤシサ」や「さもしさ」に無縁の人々が、そこかしこに顔を出す。いずれも日本を代表するというような人たちだから、当たり前といえば当たり前。
でも、いつの時代もそうかもしれないけれど、日本を代表するような人だからその手のものに無縁か、といえば必ずしもそうではない。まあ、そこが面白い?のだけれど・・・。
周りを見わたすと、人品・骨柄・・・?、でも地位も名誉も、というのがけっこう目につくものです。ただ、だからといって「結果よければ、すべてよし」と、右も左もイヤシサを競うかのごとくであるのは、ホントーにイヤシイと思うのですが。
この手の文章を書けば、「東の山口瞳、西の開高健」とぼくは勝手に思っているのですが、じつはそういいながら、やはりぼくは西方に軍配を上げるのです。
この本を読んでいても、どこかじれったくて、やっぱり開高健のあの文に・・・・と思う気持ちがはたらくのです。これって、関西人と関東人の気質の違いなんでしょうかねえ。
それにしても開高健の新しい文章に、もう触れることはできないのかと思うと、人生の楽しみを一つ、奪われた気がしてなりません。
- 2008/09/07(日) 16:36|
- ワンダラーの書斎
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